PROJECT 01
株式会社臼福本店
代表取締役社長 臼井壯太朗

漁業の現状と
未来を見据えて

「海と生きる」覚悟と共に生きる
プロフェッショナル集団。

臼福本店は、明治15年に創業した、約130年の歴史を持つ漁業会社です。
最初は魚問屋としてスタートし、3代目から本格的に漁業に参画しました。
昔は近海船、遠洋の鰹鮪船、北転船と手がけていましたが、先代から遠洋マグロ漁船一本に切り替え、
現在私が5代目を務めています。

私自身は東京の大学を卒業後、石巻で船舶関連の仕事に携わり、
その後「日かつ連(旧 日本鰹鮪漁業協同組合連合会)」に入社。
1996年、スペイン・カナリア諸島の、ラスパルマスに駐在しました。エサや食料の積み込み、
領事館や病院、飲食の手配など、ありとあらゆる陸仕事で経験を積みました。
現場で働く乗組員と直に触れ合えた経験が、現在の漁船漁業経営に大いに役立っていると実感しています。

弊社の船は全部で7隻。気仙沼を基地にしている船が3隻、残り4隻は南アフリカのケープタウンに3隻、
ラスパルマスに1隻と海外の港を基地にしており、航路によってアイルランドやアイスランド、ペルー、
インドネシアなどにも寄港します。

船主の私は寄港先にも行き、乗組員を慰労したり船頭と今後の操業計画を立てたりもします。
船が最終目的地の基地に到着し積み荷を降ろしたら、
現地へ派遣した船の技師や現場監督が船の整備にあたり、その間に乗組員は日本へ飛行機で戻ります。
彼らは約45日間ほどの休暇をとり、また1年以上の漁に出るのです。

現在、臼福本店の社員は乗組員を含め約200名。
厳しい仕事をしているのは、言うまでもなく沖で働く乗組員です。
ひとたび漁に出れば1年以上家族と離れて暮らすことになる。
彼らはもちろん、その留守家族もしっかり守るのが我々会社の役割です。

漁船漁業は、船、乗組員、船主のどれが欠けても成り立ちません。
いかに優秀な乗組員に乗船していただき、いかに円滑に船を廻し魚をたくさん釣ってもらうか。
さらに、その船を整備する鐵工所の人々やエサを積む人、パイプやエンジンを修理する人など、
漁業は多種多様なプロフェッショナルの力で成り立っています。
皆に気持ちよく仕事に取り組んでもらえるようコーディネートするのが、
船主である私たちの役目だと思っています。

スローフードの街、気仙沼から
「“食”の大切さ」を発信する意味。

私がいま、漁業に携わる者のひとりとして強く感じているのが「“食”の大切さ」です。
その裏で働く第一次産業従事者、そしてそれを支える人たちの誇りをあらためて訴えたい。
東日本大震災の折、私たち被災者は、改めて食の大切さというものを身をもって体験いたしました。
まず食に助けられこと、食に携わり続ける自分たちが行動し、発信していくべきだと考えています。

私がかねてより食のために活動している軸は、大きく分けて2つ。
「食育」と「日本の漁業に誇りを取り戻すこと」です。
気仙沼は「海と生きる」というスローガンを掲げ、スローフード宣言を全国で最初にした都市。
水産業関連会社が7割を占める、日本有数の漁業の街でもあります。

しかし、地元の子どもたちは、高校を卒業したらその多くが県外に出てしまいます。
漁業や水産業、水産加工業を希望する人が少なくなってしまいました。
かつては世界一の漁船や世界に誇れる水産加工業が気仙沼にありましたが、
現在、地元でつくっている加工品を地元の子どもたちが食べたことがないという現象が起きています。

気仙沼には世界に誇れる産業があることをわかってほしい。
そう考え、「学校給食100パーセント地産地消運動」を、
気仙沼青年会議所に所属した2010年に実施いたしました。
提供したのはフカヒレごはんやフカ肉フライなどの「フカヒレづくし」でした。
塩も海から採り、調味料も含めた100パーセント気仙沼産の給食でした。

「漁業」にも様々な産業があり、世界中で捕る人、それを加工する人、料理として仕上げる人がいる。
そのことを子どもたちに理解してもらい、「いただきます。ごちそうさま。」の本当の意味を知ってほしい。
「いただきます」は、生産者に対する、命に対する、両親に対する感謝の気持ちです。
日本独特の言葉を、もう一度教えたいと考えています

これは日本で初めての取り組みとして、教育委員会や栄養士の方々にも興味を持っていただきました。
ようやく給食に地元の食材を使ってもらえる手応えを感じ始めたときに、津波が来た。
築き上げてきたシステムはすべて壊れましたが、再度プロジェクトを推進していきたいと思っています。
生産者、加工会社ともう一度肩を組んで、いちからしっかりやっていくことの必要性をいま感じています。

日本の漁業の誇りを守り、復興に向かう。
そのカギは、気仙沼の第一次産業にある。

もうひとつ、「日本の漁業に誇りを取り戻すこと」についてお話させてください。
10年ほど前から、漁業を取り巻く状況は大きく変わりました。
原油は高騰し、漁価も低迷、後継者も不足しています。

特に問題を感じているのは、国際的規制のある漁獲枠です。
日本のミナミマグロ漁獲枠は2007年より、それまでの6065トンから3000トンに激減されました。
この規制に沿うよう水産庁は法律を定め、日本の漁業者はそれを厳格に守っています。
捕れたマグロにはすべて通し番号入りのタグを付け、捕れた日付や場所を毎日水産庁に報告しています。
また水揚げ時には水産庁検査官が立ち会い、オーバーキャッチがないか目視で確認するという流れです。

しかし残念ながら、海外の漁業者すべてが漁獲枠を守っているわけではありません。
輸入されてくるマグロは生産履歴も不透明で、漁獲オーバーしたものかどうかもわからず、
ペーパーでのチェックしかされておりません。、
それが日本船が捕ったマグロよりも安い価格で市場に出回っているんです。

このままでは、日本の生産者もマグロ資源も減り続けてしまう。
私はミナミマグロ出漁対策協議会の委員、漁業者代表として各種会議に出席しながら、
水産庁に日本の漁業を守る手だてを考えようと訴え続けています。

臼福本店は、気仙沼──ひいては日本の漁業をより活性化したいと、
国の漁業構造改革事業を活用させていただき、2013年7月に新しい船を建造することになりました。
船が出来上がるのは来年の3月の予定。これまでは静岡県の造船所で造っていましたが、
今回は地元気仙沼の技術力を結集した船を造ろうと、気仙沼の造船所にお願いしています。

震災後あらためて、食の大切さ、エネルギーの大切さ、そして人のつながりの大切さを感じました。
震災を契機に、より多くの業界の方々とのつながりができたことも実感しており、心より感謝しています。
年齢も関係なく、多業種の方々と手を携えることが、
被災地の復興だけでなく漁業の復興、日本全体の復興につながるのではないでしょうか。
そのカギが、気仙沼そして東北の第一次産業の復興にあると私は信じています。

日本のフラッグを掲げて漁に出て、日本の誇りを守り続ける。
これが、我が臼福本店の使命だと私は考えています。